Electric Literatureの更新通知がメールで送られてきた。Electric Literature誌は、推薦者の解説と共に短編小説をまるごと掲載してくれるサイトで読みごたえある短編に出会える。私は10年以上ときどき読んでいるし、クラウドファンディングにも参加している。純文学~一般文芸というイメージだがSFや奇想小説もときどき載る。今回紹介されていた短編はA Childhood that Defies Gravity(”重力にあらがう子供時代”)だ。これは空中浮遊小説の可能性がある。私はリンクを踏んですぐさま見に行った。
話が逸れた。“A Childhood That Defies Gravity”は、マーカス・ステュアートのこれからでる短編集Shadows and Clouds (2023.12,Omnidawn)収録作だという。書籍の分類を見るとシュルレアリスムやアポカリプティックな要素ありらしいが、奇想小説の比率が気になる。
京都SFフェスティバル1日目には、最近読み始めた長編Prophet by Helen Macdonald & Sin Blacheを紹介した。作家、詩人、科学歴史家、博物学者、鷹匠、ユーラシアの猛禽類の研究者で、H is for Hawk(『タはタカのタ』)でコスタ賞ノンフィクション部門を受賞したMacdonaldと、カリフォルニア生まれでアイルランド北西に住むミュージシャン、ホラー・SF作家Blacheの共作である。なお著者は2人とも代名詞theyを使われることを希望しているので書評の際は要注意。
カナダの作家セシル・クリストファリの”The Fishery”は、持続的でない宇宙漁業の話だ。登場するのは監視官やジャーナリストや労働者。人々が摂取を必要とする「感情」は、今や宇宙の辺鄙な場所から調達されるようになっていた。需給のバランスは悪く、乱獲や密漁も問題になっている。本作は希望や恐怖といった感情をあたかも希少食材や調味料のように描いている。このたとえは、ややわかりやすく直接的だが、黄昏の時代を絶望に陥ることなく書いた良作である。 ”Hope was a rare delicacy, incredibly tricky to grow and difficult to maintain, and locally-sourced varieties were almost impossible to find these days.”(「希望はいまや珍味で、信じがたいほど育てにくく、手入れも難しく、近ごろでは地物を見つけるのはほとんど不可能であった。」1文を拙訳)
また、山高帽は、不条理幻想のシンボルでもある。たとえば小説家フランツ・カフカがかぶっていた。画家のルネ・マグリットも好んでモチーフにしていた。そしてソ連が発禁処分にしていた傑作アニメーション『ガラスのハーモニカ』にも帽子の男が登場する。このアニメは展開や色合いも含め、本ワールドのインスピレーションのひとつであってもおかしくないかもしれない。 作者のDrMorro氏の別ワールド Moscow Trip 2002 – Night Tramには、ロシア文学やロシアSFの本が並んだ本棚があった。そこに著書が置いてあった作家ヴィクトル・ペレ―ヴィンの、短編集『寝台特急 黄色い矢』 (中村唯史、岩本和久、群像社ライブラリー)の表題作を思い出す。これは無限に走り続ける列車を描いた小説で、列車はロシア社会の、あるいは人生の比喩ではないかと思わせられる。これもまたインスピレーション源かもしれない。
さてORGANISMには1.生物、2.組織の意味がある。つまり本ワールドは人体を巡り、その人生を巡る旅である。そして社会組織あるいは政体の比喩だとも考えられる。 ただ、こうした“考察”なんぞ一切気にする必要はない。本ワールドはひたすら美しく、誰かの夢を追体験させてくれるのだから。そして作者が同じ時代を生き、似たようなミームや小説や絵画を摂取してきたことを肌身に感じさせてくれるのだから。その実体験こそがすべてである。 ラストステージには、文字をつなぎあわせると「Кем ты был(Who were you?/あなたは誰だったのか?)」となる柱がある。誰のどんな夢だったか、解答を出すのはあなた自身だ。