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参考:https://www.youtube.com/watch?v=t_Xfl9Nub-I

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本の感想

春暮康一『法治の獣』

 ファーストコンタクトSFとは、異星の生命体と人類の接触を描いたSFを指す言葉である。The Encyclopedia of Science Fictionによればマレイ・ラインスターの「最初の接触」(“First Contact”, 1945)が「おそらく最も有名な作品」だそうで、これがサブジャンル名として採用されているらしい。
 ところでスペースコロニーのcolonyは植民地という意味だ。しかし開拓・入植とは、既存の自然や文化に対して侵襲的で破壊的な行為である。今回紹介する本は、その観点を踏まえた――もはや未開の地に無邪気に足を踏み入れられない時代の――ファーストコンタクトSFである。そして、そう簡単に異星の生命と交流なんかできないというシビアさと、しかしなお希望を捨てさせない優しさを兼ね備えている。

※出版社からのいただきものです。ありがとうございます。
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015112/

春暮康一『法治の獣』(ハヤカワ文庫JA)

法治の獣 書影

  2019年ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞者の2冊目の著書。『SFが読みたい! 2021年版』(早川書房)で「自信作」「ハードSF好きの皆さんを満足させられるような未来もの」と述べていた(P.127)作品群が、満を持しての登場である。その自負にふさわしい力作だ。デビュー作品集『オーラリメイカー』と比べて物語が複雑かつダイナミックに動くため、没入しやすくなっているのも嬉しいところ。
 さて、本書はファーストコンタクトSF中編集である。『SFマガジン』で発表され、2022年(第53回)星雲賞の参考候補作にも選ばれた「主観者」と書き下ろし2作「法治の獣」「方舟は荒野をわたる」の3作が収録されている。いずれも異星の生命体の生態ルールが調査されていき、人間がその意識/知性の形を探り、解釈する話だ。謎解き仕立てとも言える構成である。各話は独立しているが背後には共通設定があり、《系外進出》インフレーションシリーズと名づけられている。無代謝休眠技術が発展し、地球から遠い星への有人探査が可能になった未来のお話だ。

 「主観者」の主役は、惑星ヴェルヌに棲息する、全身が発光するクラゲやイソギンチャクのような生物「ルミナス」だ。短くて太い円筒状の身体に、先端に眼がついた七本の前腕と、泳ぐための七本の後腕、捕食活動に使うひときわ長い一本の触尾を備えている。本作はこのルミナスと生命探査にやってきた人間チームの、接触の顛末の物語だ。世界観と異星生命の生態の紹介に徹した作品である。
 冒頭部を読んで「ちょっと入りこみづらい」と感じた読者は、本作を飛ばして先に表題作に進むと良い。宇宙SFを読みなれていない人は情報をどれくらい記憶したり理解したりすべきか迷うかもしれない。また、「主観者」を『SFマガジン』で読んで「地味だな」「陰鬱だな」と感じた人も、どうかめげずに手を伸ばしてもらいたい。書き下ろし分は、よりドラマティックだったり、雰囲気が異なったりするので。

 表題作「法治の獣」は、惑星〈裁剣〉に棲息する四つ足の一角獣シエジーの物語だ。シエジーの知能はウシ科の草食動物と変わらないレベルで、高度な思考や対話はできない。つまり舞台は異星の知性と接触する目的は果たせなかった、ハズレの星である。にも関わらず、シエジーは人間からやや注目されている。シエジーたちが群れ全体の快度を上げる有益な行動を学習する生物だからだ。スペースコロニー〈ソードⅡ〉は、人間が最大規模のシエジーの群れの法体系ルールを“翻訳”した法律に基づいて暮らしている実験都市である。シエジーの法は生存に有利なように磨かれ続けているので、それを採用すれば人間の私利私欲とは無縁の(より優れた)共同体を運営できるはずという目算あっての計画である。
 本作は、月から来た若き生物学研究者アリス・クシガタが、一部の住人がシエジーに抱く幻想に辟易しながらも研究を進めるストーリーを中心に進展していく。収録作中、最も劇的だと言えるだろう。アリスの人間関係、人間の共同体の事情、一角獣シエジーの生態といった複数の筋が並行するテクニカルな展開で、クライマックスで大事件が起こり、謎が解かれていく。スリラー小説のファンにも強くおすすめしたい出来だ。
 また、三作中で最も命名に優れた作品ではないかとも思う。獬豸(シエジー)という題材や、その二つ名「生まれながらの功利主義者」は非常にインパクトがある。
 私はP.216-220の、平易な言葉による丁寧な説明にも好感を抱いた。この部分があるからこそ、おとなしく物語の勢いに身を任せたと言ってもいい――本作の異星生物は地球の哺乳類とかなり似ているので、他の2作と違ってリアリティが気になりやすいのだ。はたして「不快衰弱」という架空の特性の有無だけで地球の自然淘汰より功利的な生態になるのか、私は判断できなかった。
 終盤でちらりと姿をのぞかせる社会思想別の人類共同体(複数)は、サイバーパンクやニュー・スペースオペラが好きな人ならニヤニヤしてしまいそうなネーミングと設定を持つ。具体的に言えば、ブルース・スターリングやアレステア・レナルズのファンがにやけそう。ハードSF志向の著者からすれば狙いから逸れた流れ弾かもしれないが、このへんがツボの読者も少なくないのではないか。というか周りに複数いた。
 ちなみに加藤直之・画の表紙は、本作のスペースコロニー〈ソードⅡ〉である。

 ラストの「方舟は荒野をわたる」の舞台は、近くの巨大惑星2つに引っ張り回され、自転周期や軸傾斜がめちゃくちゃにされている惑星オローリンだ。以下、やや内容に触れるので前情報を知りたくない人は、以下を読むのを止めてほしい。
 きわめて過酷な環境の星オローリンで発見された〈方舟〉は、ゼラチン質の膜を持つ水袋が転がりながら地表を移動し、内部に数十万種の生物を抱える生態系だった。そんな規格外のシロモノの知性のありかたとは。そしてオローリンの知性体から人類が知らされた、驚くべき情報とは。
 三度目の正直。ついに異星の知性との対話が叶う回である。表題作と同じく、複数の筋から構成された滋味豊かな作品だ。〈方舟〉の驚異の生態、人間側のしがらみ、ちょっとしたサプライズ1、ちょっとしたサプライズ2とスケールアップ。「主観者」事件の反省を活かし、人類が異星生命に慎重に接触せざるを得なくなっているのも面白い。希望と可能性の残る結末も愛されるはずで、本作が最も好きだという読者も少なくないのではないか。私もそのひとりである。グレッグ・イーガンの「クリスタルの夜」や「ワンの絨毯」が好きだった人にも、劉慈欣『三体』が好きだった人にもオススメできそうだ。それくらい色々てんこ盛りの作品なのである。

 著者の春暮庚一氏は「書くのも読むのも短篇が好き」だと書いていて(『SFが読みたい! 2021年版』P.73参照)その気持ちは大変よくわかる。テッド・チャンのような作家人生もあって良いはずだ。しかし一方で、著者が長篇の舵を取りきるところが見てみたいとも感じた。壮大なSFをうまく着陸させるのは大変だが、操舵術は作を追うごとに向上しているわけだし、中篇で着陸できるなら長篇でもいけるのでは……? つい欲望のままに期待をかけてしまうが、それだけ更なる飛躍を願いたくなる短篇集だったということだ。

 余談:ささいなことだが、一人称「わたし」の語り口調が淡泊なわりに、他の登場人物のセリフは役割語が強く、芝居がかっているように感じた。翻訳ドラマ調というか。