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本の感想

2023/12/4に読んだもの

2023/12/4(月)
 ※この記事は、試しに一週間ほど私(橋本輝幸)がいかに未訳小説の情報をキャッチして何を考えながら読んだり、リサーチを深めるかを記録するシリーズに属しています。

 Electric Literatureの更新通知がメールで送られてきた。Electric Literature誌は、推薦者の解説と共に短編小説をまるごと掲載してくれるサイトで読みごたえある短編に出会える。私は10年以上ときどき読んでいるし、クラウドファンディングにも参加している。純文学~一般文芸というイメージだがSFや奇想小説もときどき載る。今回紹介されていた短編はA Childhood that Defies Gravity(”重力にあらがう子供時代”)だ。これは空中浮遊小説の可能性がある。私はリンクを踏んですぐさま見に行った。

 今回の推薦者クライド・デリックの言うことには、作者のマーカス・ステュアートは“レイ・ブラッドベリ、シャーリイ・ジャクスン、ジョーダン・ピールの自然体な文学的隣人”である。これは期待できそうだ。

 さて、読んでみたところ登場人物は空中浮遊……しなかった!  舞台はソ連があったころの英国のようだ。主人公ルイス少年が、遊び場の片隅でひとり、自分の靴を見つめながら立っているところから開幕する。「なにしてんの?」と他の子に聞かれて「浮かぼうとしてるんだ」と答える。ルイスは学校にも家庭にも居場所がなく、ロシア人が勝ってすべてが破滅しないものかと願う。彼は繰り返し空中浮遊を試す。おそらくは救いも面白みもない地上から逃れるすべを求めて。

 子供のころの鬱屈や独自ルールの遊びの思いつきを彷彿とさせる短編だ。あまり懇切丁寧に書きすぎていないのは好みである。しかし空中浮遊はしなかった。

 さて、私は現実から少し距離のある小説が好きだ。たとえばSFや怪奇幻想小説のような。なぜなら現実が救いも面白みもなかったからである。長年かけて培ってきたSFおよび怪奇幻想小説愛好者のセンサーもたまには誤作動するし、面白ければノンジャンルなリアリズムだってもちろん歓迎だ。なんにせよ読まないことにはわからない。日々トライするしかない。

 話が逸れた。“A Childhood That Defies Gravity”は、マーカス・ステュアートのこれからでる短編集Shadows and Clouds (2023.12,Omnidawn)収録作だという。書籍の分類を見るとシュルレアリスムやアポカリプティックな要素ありらしいが、奇想小説の比率が気になる。

 ところで本書のBlurbを書いているS.J.Groenewegenという名前に見覚えがない。検索したところ、オリジナル長編小説を2023年に初出版したばかりの著者だった。S.J.Groenewegenは法執行や刑事司法の専門家で、これまでオーストラリアの法執行期間や犯罪庁、オランダ警察、FBIで働くかたわら、世界SF大会(ワールドコン)や英国SF大会(イースターコン)といったSFイベントでたびたび登壇者や司会者を務め、SF短編やノンフィクションを書いてきたそうだ。オーストラリアで生まれ育ち、2004年から英国に移住して現在スコットランド在住。『ドクター・フー』やミリタリーSFの愛好家らしい。

 SJはクィアで、Autistic(ASD)診断済みを公にしており、公式サイトの略歴では三人称代名詞を使わず「SJ」を使っている。そんなSJの長編SF、The Disinformation War (2023.6, Gold SF series, Goldsmiths Press)は近未来の英国を舞台にしたインターネット情報戦ものディストピアらしい。中心人物が3人いるうち、1人はAromantic Asexualで、未診断だがASDの特性を持っている。著者は決して自伝的小説ではないと名言しつつ、人生で経験し観察した様々な要素を本書に詰めこんだそうだ。

 Gold SFはゴールドスミス大学出版会の「インターセクショナル・フェミニスト・SF」小説叢書だ。創設以来ときどき新刊をチェックしていたものの、しばらく情報を追えていなかった。これを機に新刊や近刊予定をチェックしておく。

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本の感想

2023/12/2, 3に読んだもの

 私はふだん、気軽に短い小説やノンフィクションを読みあさる。どのように情報を仕入れているか、いかに既知の情報を反芻しているか、ここ数日分の思考の流れをそのまま書き出してみた。

2023/12/2(土)

 朝、Mastodonを眺めていたら、作家の藤井太洋氏が最新号のClarkesworld誌に載っている掌編が面白いと投稿されていた。早速読む。シンガポールの作家イン・イーシェンの新作“The World’s Wife”だ。オチも、ささやかに文明が生まれて育つところもいい意味で昔なつかしいSFショートショートを彷彿とさせる。翌日、翻訳家の古沢嘉通氏が作家ラヴィ・ティドハーがX(Twitter)で本作をほめている投稿を引用し、本作を絶賛しているのを見かける。ちょうど開催されていたイベント、京都SFフェスティバル2023のDiscordに、ここまでの経緯と共にリンクを投稿しておいた。

 イン・イーシェンは既訳もある(1.編者として, 2.作家として)が、本作はユーモア短編でいささか路線が異なる印象だった。彼がStrange Horizons誌の東南アジアSpeculative Fiction特集号に寄稿したノンフィクション「スパイスパンク宣言」も良いので、こちらもぜひ併せて読んでほしい。

 京都SFフェスティバル1日目には、最近読み始めた長編Prophet by Helen Macdonald & Sin Blacheを紹介した。作家、詩人、科学歴史家、博物学者、鷹匠、ユーラシアの猛禽類の研究者で、H is for Hawk(『タはタカのタ』)でコスタ賞ノンフィクション部門を受賞したMacdonaldと、カリフォルニア生まれでアイルランド北西に住むミュージシャン、ホラー・SF作家Blacheの共作である。なお著者は2人とも代名詞theyを使われることを希望しているので書評の際は要注意。

 人々のノスタルジー溢れる幸せな思い出から顕現した物体Prophet。その超常的な存在を探査させられる羽目になった帰還兵の話っぽい。冒頭では、英国の野山の只中に1950年代のアメリカの古き良きダイナーが忽然と建ち、そこに足を踏み入れる。SCP財団+『ソラリス』『全滅領域』みたいな? Blurbを書いているのはニール・ゲイマン。本書は、著者たちがアイルランドのSFイベントOctconの今年のゲストであるのをきっかけに知った。

2023/12/3(日)

 カナダの作家セシル・クリストファリの”The Fishery”は、持続的でない宇宙漁業の話だ。登場するのは監視官やジャーナリストや労働者。人々が摂取を必要とする「感情」は、今や宇宙の辺鄙な場所から調達されるようになっていた。需給のバランスは悪く、乱獲や密漁も問題になっている。本作は希望や恐怖といった感情をあたかも希少食材や調味料のように描いている。このたとえは、ややわかりやすく直接的だが、黄昏の時代を絶望に陥ることなく書いた良作である。
 ”Hope was a rare delicacy, incredibly tricky to grow and difficult to maintain, and locally-sourced varieties were almost impossible to find these days.”(「希望はいまや珍味で、信じがたいほど育てにくく、手入れも難しく、近ごろでは地物を見つけるのはほとんど不可能であった。」1文を拙訳)


 掲載誌IZ Digitalは、英国のSF誌『インターゾーン』から派生したウェブジンである。『インターゾーン』は近年、編集長&出版社交代、紙版の休刊を憂き目を見た。たしかに実質別物ではあるが、1982年創刊・英国でもっとも長く続くSF雑誌を継承したという体裁である。京都SFフェスティバルのある企画では「今はなきインターゾーン」と言われていたが、一応続いている。

 本作はブラジルのSF作家レナン・ベルナルド氏がX(Twitter)で紹介していて知った。

 ひさびさのブログ執筆には時間がかかった。はたして続けられるだろうか。

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ORGANISM by DrMorro感想と考察

 ORGANISMとは、2022年5月19日にVR SNSであるVRChatで公開された、個人製作のアート/ゲームである。製作者はロシアの画家、2D/3DアーティストDrMorro氏。
 https://vrchat.com/home/world/wrld_de53549a-20cf-4c6f-abea-dcda197e1e16
 2022/05/26に3か所ほど追記した。

 私(エメラルドグリーンの鹿。VRC ID: TerrieH)は公開直後にひとりでクリアし、多人数対応アップデート後の5月21日に同行者を募って、再度ver.1.32を探索した。
 ちなみに同行者の魅力的なレポートが先にアップされている。エメラルドの鹿はNPCではないので本ワールドに行っても見つかりません。

 さて、本ワールドは見る間に世界的に評判になり、一時は500以上のインスタンスが開かれていた。これは最低でも500人以上が同時に体験していたという意味である。魅力はなんといってもクリストファー・ノーラン映画やBackrooms (Liminal Spaces)、シュルレアリスム絵画の影響を強く感じる、幻想的で強烈なビジュアルである。しかもステージ移動はテレポートではなく、見える範囲にほとんど足を運べる。おそるべき作りこみだ。こういうワールドを待っていた、と快哉を叫びたいほどの完成度である。
 まずは何も考えず、本ワールドを実際に体験してみることをお勧めする。

 【!】ここからは自分なりに本ワールドを深読みしてみた。必然的にネタバレになるので、覚悟の上で読んでいただきたい。あくまで個人による“深読み”である。

 (2022/05/26追記1)また、現在(ver.1.4)本ワールドの紹介文には英語でこのような注意書きが書かれている。若干英語がおかしいが、想定される文脈を翻訳した。

「来場者の方へのご注意! 本マップには背景となる物語も、解かれるべきパズルも、決定的な解答も存在しない。何がorganismかを決めるのはあなただ。また、気をつけて旅してほしい。警告:もし気分が悪くなったら滞在を中断したほうがいい。訓練されていない人にとっては、望ましくない影響が生じる可能性がある。責任は持てないので、自己責任でお願いします。管理部」
 (/追記1)

パスワードの秘密


  本ワールドでは、一定区間ごとに4桁のパスワードが記載された電光掲示板が出現する。スクリーンショットを撮って保存しておけば、この数字を入力することで最初の場所からテレポートできるようになる。
  この電光掲示板には、1.人体に関わるアイコンと、2.ロシアおよびソビエト連邦史における重要な年号かもしれない4桁の数字=パスワードが記載されている。人体に関わるアイコンは各ステージのモチーフとしても反映されている。(2022/05/26追記2)胴体、胸部、頭部とステージを追うごとに高い場所へ昇っていっているわけだ。(/追記)
  以下は各ステージごとの解説である。くれぐれもネタバレを了承した上で読み進めてください。

01  腸(パスワードなし)


 集合住宅のステージ。郵便物、雪とソリ。

   

02 心臓(スターリン政権末期)


 鉄道と駅舎のステージ。心音がする巨大ファンは心臓、線路は血管だろうか。パスワードはスターリン・ノート:西欧との東西ドイツ返還の合議が成立しなかった年でもあり、プーチン出生年でもある。
 シベリア鉄道はこの時代は世界最速の民間交通手段で、現在に至るまで世界最長の鉄道の王座を守り続けている。
 ステージ冒頭の棚が空の店舗は、食料品が商店でも手に入らない配給制の時代を表現しているのではないか。1980年代中盤までもそういう状況だった(声優ジェーニャさんのインタビューにもこのあたりの話が書いてある
 建物に入り、クロークを抜けて進んだ後、卓上の電卓に表示されている数字の由来は不明。1980年代の年号が含まれている。フレンドのtogacatさんは(プーチンが情報員として駐在していた)ドレスデン時代説を唱えていた。しかしそれだと特定の年号が書かれている理由がわからない。私はゴルバチョフ政権の開始、米ソ首脳会談、ジュネーヴ条約締結の年号であるのがあやしいと思っている。

この電車は運転席に乗りこめる。

03 脳(モスクワ劇場占拠事件)

 屋根をつたい、建物に入って学校、図書館や美術館を通過するステージ。
 なお屋根を進む際に左右に見えるエリアは、ほぼすべて突き当りまで実際に進める。以下の写真に見覚えがない人は、下まで降りてみてほしい。
 このステージがモスクワ劇場占拠事件をモチーフにしているという根拠のひとつは、下のあちこちに劇場か映画館のドアっぽいものがある点だ。


 ネオンサインには「夢」と書いてある。この夢から走るパイプラインは上の建物に繋がっている。はたして誰のどんな夢なのか。ラジカセは、ひとつ前のステージの車庫と車両を再活用したっぽいバーにも置いてあった。

 図書館にカードのひきだし(一般名称がわからない)が大量にあるのは、ひょっとしてモスクワの国立図書館を参考にしているからかもしれない。

 


04 病院(未来の日付)

 病院と雪のステージである。つまり死や末期を匂わせている。ただし結末を考えれば昇天、臨死体験、再生であってもおかしくない。
 なお私も初回は最終ステージの最後で詰まったのだが、押せるスイッチがある。

 この年号は、スターリンの大粛清からちょうど100年目、プーチンの任期がようやく終わった後、そして欧州との天然ガス輸出契約の終わりである。ロシアの半国営企業ガスプロムは、ポーランド、ブルガリア、チェコ、ルーマニア、スロバキアとこの年まで契約している
 ここに私は「予測不能な未来」「ソ連という悪夢(の終焉はいつ?)」といったメッセージ性を感じた。

カレンダーには、パスワードの年号とは若干ずれた年が記載されている。これは一体? この日付、実はステージ01の入り口の受付にもかかっている。

 ところで、なぜ私がガス輸出をモチーフと見なしたかというと、ひとつはパイプラインで西に向けて運ばれるもの=シベリア鉄道(権威)の夢再び、人体における血液のように流れるものといった連想からだ。
 そしてもうひとつ。深読みしすぎかもしれないが、ワールド入口の電話ボックスのメッセージを見てほしい。以下の画像に翻訳を書き加えた。

無料でおかけください
消防 -01
警察 -02
救急 -03
ガス・サービス -04

04ステージの数字、そのほかの解釈

 (2022/05/27追記)このステージの数字は「UNIX時間が限界を迎える年の前年」説を唱える方がおふたりいらっしゃいました。これも面白い解釈ですね!

https://twitter.com/Juliconyan/status/1529370718924066816?s=20&t=xjWHpKiJ09Xn8wq3N6Q1ww

山高帽の男、そしてワールド名の謎

 本ワールドには繰り返し山高帽が登場する。最終ステージのプールのロッカーの帽子もお見逃しなく。そしてラストシーンの光輝く男も帽子をかぶっている。
 私はこれを特定の個人ではなく「ソヴィエト及びロシアの父長的な権力者たち」と解釈した。

 まず、11年間ソビエト連邦の最高指導者で、在職中に世界トップクラスの宇宙開発を成し遂げたニキータ・フルシチョフ(1894 – 1971)は帽子姿で知られ、「ソ連で、男性用の帽子の流行を呼び起こ」したそうだ。死後、彼の回想録は米国で出版された。
 ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領(1931-)の回想録の書影での姿も見てほしい。こちらの記事の写真も。
 机の上に広げられた空白のノートは、歴代の最高指導者が回想録をつづる様子を連想させはしないだろうか?
 ただし、この種の帽子は20世紀に世界各地で大流行したため、上記は的外れかもしれない。たとえばドイツ駐在時のプーチンもかぶっている(2枚目の写真参照)
 (2022/05/26追記3)しかしだからこそ、社会的地位が高めの男性はみんなかぶっていた=山高帽は指導者たちの隠喩ではないかと考えられる。
 さらに、1955年以降のソ連の脱スターリン化時代は「雪どけ」と呼ばれていたことにも注目してほしい。つまり雪に包まれた団地や惑星が暗に示すのは、真に雪どけに至っていない――ソ連の亡霊が去っていないということではないか。01ステージと04ステージの雪を思い出してほしい。モスクワにレーニンの亡骸を防腐処理し、安置した廟があるという事実も、寝台と死のモチーフに通じている。

 “名称は,スターリン死後の解放の雰囲気を描いた,旧ソ連の作家エレンブルクの小説(1954年刊)名に由来する。冷戦体制下における緊張緩和とともに,共産圏諸国内の締めつけ緩和をさした。” (雪どけ 旺文社世界史事典 三訂版
 (/追記3


 また、山高帽は、不条理幻想のシンボルでもある。たとえば小説家フランツ・カフカがかぶっていた。画家のルネ・マグリットも好んでモチーフにしていた。そしてソ連が発禁処分にしていた傑作アニメーション『ガラスのハーモニカ』にも帽子の男が登場する。このアニメは展開や色合いも含め、本ワールドのインスピレーションのひとつであってもおかしくないかもしれない。
 作者のDrMorro氏の別ワールド Moscow Trip 2002 – Night Tramには、ロシア文学やロシアSFの本が並んだ本棚があった。そこに著書が置いてあった作家ヴィクトル・ペレ―ヴィンの、短編集『寝台特急 黄色い矢』 (中村唯史、岩本和久、群像社ライブラリー)の表題作を思い出す。これは無限に走り続ける列車を描いた小説で、列車はロシア社会の、あるいは人生の比喩ではないかと思わせられる。これもまたインスピレーション源かもしれない。

 さてORGANISMには1.生物、2.組織の意味がある。つまり本ワールドは人体を巡り、その人生を巡る旅である。そして社会組織あるいは政体の比喩だとも考えられる。
 ただ、こうした“考察”なんぞ一切気にする必要はない。本ワールドはひたすら美しく、誰かの夢を追体験させてくれるのだから。そして作者が同じ時代を生き、似たようなミームや小説や絵画を摂取してきたことを肌身に感じさせてくれるのだから。その実体験こそがすべてである。
 ラストステージには、文字をつなぎあわせると「Кем ты был(Who were you?/あなたは誰だったのか?)」となる柱がある。誰のどんな夢だったか、解答を出すのはあなた自身だ。


 

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3DCG

3DCG習作

参考:https://www.youtube.com/watch?v=t_Xfl9Nub-I

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本の感想

春暮康一『法治の獣』

 ファーストコンタクトSFとは、異星の生命体と人類の接触を描いたSFを指す言葉である。The Encyclopedia of Science Fictionによればマレイ・ラインスターの「最初の接触」(“First Contact”, 1945)が「おそらく最も有名な作品」だそうで、これがサブジャンル名として採用されているらしい。
 ところでスペースコロニーのcolonyは植民地という意味だ。しかし開拓・入植とは、既存の自然や文化に対して侵襲的で破壊的な行為である。今回紹介する本は、その観点を踏まえた――もはや未開の地に無邪気に足を踏み入れられない時代の――ファーストコンタクトSFである。そして、そう簡単に異星の生命と交流なんかできないというシビアさと、しかしなお希望を捨てさせない優しさを兼ね備えている。

※出版社からのいただきものです。ありがとうございます。
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015112/

春暮康一『法治の獣』(ハヤカワ文庫JA)

法治の獣 書影

  2019年ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞者の2冊目の著書。『SFが読みたい! 2021年版』(早川書房)で「自信作」「ハードSF好きの皆さんを満足させられるような未来もの」と述べていた(P.127)作品群が、満を持しての登場である。その自負にふさわしい力作だ。デビュー作品集『オーラリメイカー』と比べて物語が複雑かつダイナミックに動くため、没入しやすくなっているのも嬉しいところ。
 さて、本書はファーストコンタクトSF中編集である。『SFマガジン』で発表され、2022年(第53回)星雲賞の参考候補作にも選ばれた「主観者」と書き下ろし2作「法治の獣」「方舟は荒野をわたる」の3作が収録されている。いずれも異星の生命体の生態ルールが調査されていき、人間がその意識/知性の形を探り、解釈する話だ。謎解き仕立てとも言える構成である。各話は独立しているが背後には共通設定があり、《系外進出》インフレーションシリーズと名づけられている。無代謝休眠技術が発展し、地球から遠い星への有人探査が可能になった未来のお話だ。

 「主観者」の主役は、惑星ヴェルヌに棲息する、全身が発光するクラゲやイソギンチャクのような生物「ルミナス」だ。短くて太い円筒状の身体に、先端に眼がついた七本の前腕と、泳ぐための七本の後腕、捕食活動に使うひときわ長い一本の触尾を備えている。本作はこのルミナスと生命探査にやってきた人間チームの、接触の顛末の物語だ。世界観と異星生命の生態の紹介に徹した作品である。
 冒頭部を読んで「ちょっと入りこみづらい」と感じた読者は、本作を飛ばして先に表題作に進むと良い。宇宙SFを読みなれていない人は情報をどれくらい記憶したり理解したりすべきか迷うかもしれない。また、「主観者」を『SFマガジン』で読んで「地味だな」「陰鬱だな」と感じた人も、どうかめげずに手を伸ばしてもらいたい。書き下ろし分は、よりドラマティックだったり、雰囲気が異なったりするので。

 表題作「法治の獣」は、惑星〈裁剣〉に棲息する四つ足の一角獣シエジーの物語だ。シエジーの知能はウシ科の草食動物と変わらないレベルで、高度な思考や対話はできない。つまり舞台は異星の知性と接触する目的は果たせなかった、ハズレの星である。にも関わらず、シエジーは人間からやや注目されている。シエジーたちが群れ全体の快度を上げる有益な行動を学習する生物だからだ。スペースコロニー〈ソードⅡ〉は、人間が最大規模のシエジーの群れの法体系ルールを“翻訳”した法律に基づいて暮らしている実験都市である。シエジーの法は生存に有利なように磨かれ続けているので、それを採用すれば人間の私利私欲とは無縁の(より優れた)共同体を運営できるはずという目算あっての計画である。
 本作は、月から来た若き生物学研究者アリス・クシガタが、一部の住人がシエジーに抱く幻想に辟易しながらも研究を進めるストーリーを中心に進展していく。収録作中、最も劇的だと言えるだろう。アリスの人間関係、人間の共同体の事情、一角獣シエジーの生態といった複数の筋が並行するテクニカルな展開で、クライマックスで大事件が起こり、謎が解かれていく。スリラー小説のファンにも強くおすすめしたい出来だ。
 また、三作中で最も命名に優れた作品ではないかとも思う。獬豸(シエジー)という題材や、その二つ名「生まれながらの功利主義者」は非常にインパクトがある。
 私はP.216-220の、平易な言葉による丁寧な説明にも好感を抱いた。この部分があるからこそ、おとなしく物語の勢いに身を任せたと言ってもいい――本作の異星生物は地球の哺乳類とかなり似ているので、他の2作と違ってリアリティが気になりやすいのだ。はたして「不快衰弱」という架空の特性の有無だけで地球の自然淘汰より功利的な生態になるのか、私は判断できなかった。
 終盤でちらりと姿をのぞかせる社会思想別の人類共同体(複数)は、サイバーパンクやニュー・スペースオペラが好きな人ならニヤニヤしてしまいそうなネーミングと設定を持つ。具体的に言えば、ブルース・スターリングやアレステア・レナルズのファンがにやけそう。ハードSF志向の著者からすれば狙いから逸れた流れ弾かもしれないが、このへんがツボの読者も少なくないのではないか。というか周りに複数いた。
 ちなみに加藤直之・画の表紙は、本作のスペースコロニー〈ソードⅡ〉である。

 ラストの「方舟は荒野をわたる」の舞台は、近くの巨大惑星2つに引っ張り回され、自転周期や軸傾斜がめちゃくちゃにされている惑星オローリンだ。以下、やや内容に触れるので前情報を知りたくない人は、以下を読むのを止めてほしい。
 きわめて過酷な環境の星オローリンで発見された〈方舟〉は、ゼラチン質の膜を持つ水袋が転がりながら地表を移動し、内部に数十万種の生物を抱える生態系だった。そんな規格外のシロモノの知性のありかたとは。そしてオローリンの知性体から人類が知らされた、驚くべき情報とは。
 三度目の正直。ついに異星の知性との対話が叶う回である。表題作と同じく、複数の筋から構成された滋味豊かな作品だ。〈方舟〉の驚異の生態、人間側のしがらみ、ちょっとしたサプライズ1、ちょっとしたサプライズ2とスケールアップ。「主観者」事件の反省を活かし、人類が異星生命に慎重に接触せざるを得なくなっているのも面白い。希望と可能性の残る結末も愛されるはずで、本作が最も好きだという読者も少なくないのではないか。私もそのひとりである。グレッグ・イーガンの「クリスタルの夜」や「ワンの絨毯」が好きだった人にも、劉慈欣『三体』が好きだった人にもオススメできそうだ。それくらい色々てんこ盛りの作品なのである。

 著者の春暮庚一氏は「書くのも読むのも短篇が好き」だと書いていて(『SFが読みたい! 2021年版』P.73参照)その気持ちは大変よくわかる。テッド・チャンのような作家人生もあって良いはずだ。しかし一方で、著者が長篇の舵を取りきるところが見てみたいとも感じた。壮大なSFをうまく着陸させるのは大変だが、操舵術は作を追うごとに向上しているわけだし、中篇で着陸できるなら長篇でもいけるのでは……? つい欲望のままに期待をかけてしまうが、それだけ更なる飛躍を願いたくなる短篇集だったということだ。

 余談:ささいなことだが、一人称「わたし」の語り口調が淡泊なわりに、他の登場人物のセリフは役割語が強く、芝居がかっているように感じた。翻訳ドラマ調というか。