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本の感想

2023/12/4に読んだもの

2023/12/4(月)
 ※この記事は、試しに一週間ほど私(橋本輝幸)がいかに未訳小説の情報をキャッチして何を考えながら読んだり、リサーチを深めるかを記録するシリーズに属しています。

 Electric Literatureの更新通知がメールで送られてきた。Electric Literature誌は、推薦者の解説と共に短編小説をまるごと掲載してくれるサイトで読みごたえある短編に出会える。私は10年以上ときどき読んでいるし、クラウドファンディングにも参加している。純文学~一般文芸というイメージだがSFや奇想小説もときどき載る。今回紹介されていた短編はA Childhood that Defies Gravity(”重力にあらがう子供時代”)だ。これは空中浮遊小説の可能性がある。私はリンクを踏んですぐさま見に行った。

 今回の推薦者クライド・デリックの言うことには、作者のマーカス・ステュアートは“レイ・ブラッドベリ、シャーリイ・ジャクスン、ジョーダン・ピールの自然体な文学的隣人”である。これは期待できそうだ。

 さて、読んでみたところ登場人物は空中浮遊……しなかった!  舞台はソ連があったころの英国のようだ。主人公ルイス少年が、遊び場の片隅でひとり、自分の靴を見つめながら立っているところから開幕する。「なにしてんの?」と他の子に聞かれて「浮かぼうとしてるんだ」と答える。ルイスは学校にも家庭にも居場所がなく、ロシア人が勝ってすべてが破滅しないものかと願う。彼は繰り返し空中浮遊を試す。おそらくは救いも面白みもない地上から逃れるすべを求めて。

 子供のころの鬱屈や独自ルールの遊びの思いつきを彷彿とさせる短編だ。あまり懇切丁寧に書きすぎていないのは好みである。しかし空中浮遊はしなかった。

 さて、私は現実から少し距離のある小説が好きだ。たとえばSFや怪奇幻想小説のような。なぜなら現実が救いも面白みもなかったからである。長年かけて培ってきたSFおよび怪奇幻想小説愛好者のセンサーもたまには誤作動するし、面白ければノンジャンルなリアリズムだってもちろん歓迎だ。なんにせよ読まないことにはわからない。日々トライするしかない。

 話が逸れた。“A Childhood That Defies Gravity”は、マーカス・ステュアートのこれからでる短編集Shadows and Clouds (2023.12,Omnidawn)収録作だという。書籍の分類を見るとシュルレアリスムやアポカリプティックな要素ありらしいが、奇想小説の比率が気になる。

 ところで本書のBlurbを書いているS.J.Groenewegenという名前に見覚えがない。検索したところ、オリジナル長編小説を2023年に初出版したばかりの著者だった。S.J.Groenewegenは法執行や刑事司法の専門家で、これまでオーストラリアの法執行期間や犯罪庁、オランダ警察、FBIで働くかたわら、世界SF大会(ワールドコン)や英国SF大会(イースターコン)といったSFイベントでたびたび登壇者や司会者を務め、SF短編やノンフィクションを書いてきたそうだ。オーストラリアで生まれ育ち、2004年から英国に移住して現在スコットランド在住。『ドクター・フー』やミリタリーSFの愛好家らしい。

 SJはクィアで、Autistic(ASD)診断済みを公にしており、公式サイトの略歴では三人称代名詞を使わず「SJ」を使っている。そんなSJの長編SF、The Disinformation War (2023.6, Gold SF series, Goldsmiths Press)は近未来の英国を舞台にしたインターネット情報戦ものディストピアらしい。中心人物が3人いるうち、1人はAromantic Asexualで、未診断だがASDの特性を持っている。著者は決して自伝的小説ではないと名言しつつ、人生で経験し観察した様々な要素を本書に詰めこんだそうだ。

 Gold SFはゴールドスミス大学出版会の「インターセクショナル・フェミニスト・SF」小説叢書だ。創設以来ときどき新刊をチェックしていたものの、しばらく情報を追えていなかった。これを機に新刊や近刊予定をチェックしておく。

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本の感想

2023/12/2, 3に読んだもの

 私はふだん、気軽に短い小説やノンフィクションを読みあさる。どのように情報を仕入れているか、いかに既知の情報を反芻しているか、ここ数日分の思考の流れをそのまま書き出してみた。

2023/12/2(土)

 朝、Mastodonを眺めていたら、作家の藤井太洋氏が最新号のClarkesworld誌に載っている掌編が面白いと投稿されていた。早速読む。シンガポールの作家イン・イーシェンの新作“The World’s Wife”だ。オチも、ささやかに文明が生まれて育つところもいい意味で昔なつかしいSFショートショートを彷彿とさせる。翌日、翻訳家の古沢嘉通氏が作家ラヴィ・ティドハーがX(Twitter)で本作をほめている投稿を引用し、本作を絶賛しているのを見かける。ちょうど開催されていたイベント、京都SFフェスティバル2023のDiscordに、ここまでの経緯と共にリンクを投稿しておいた。

 イン・イーシェンは既訳もある(1.編者として, 2.作家として)が、本作はユーモア短編でいささか路線が異なる印象だった。彼がStrange Horizons誌の東南アジアSpeculative Fiction特集号に寄稿したノンフィクション「スパイスパンク宣言」も良いので、こちらもぜひ併せて読んでほしい。

 京都SFフェスティバル1日目には、最近読み始めた長編Prophet by Helen Macdonald & Sin Blacheを紹介した。作家、詩人、科学歴史家、博物学者、鷹匠、ユーラシアの猛禽類の研究者で、H is for Hawk(『タはタカのタ』)でコスタ賞ノンフィクション部門を受賞したMacdonaldと、カリフォルニア生まれでアイルランド北西に住むミュージシャン、ホラー・SF作家Blacheの共作である。なお著者は2人とも代名詞theyを使われることを希望しているので書評の際は要注意。

 人々のノスタルジー溢れる幸せな思い出から顕現した物体Prophet。その超常的な存在を探査させられる羽目になった帰還兵の話っぽい。冒頭では、英国の野山の只中に1950年代のアメリカの古き良きダイナーが忽然と建ち、そこに足を踏み入れる。SCP財団+『ソラリス』『全滅領域』みたいな? Blurbを書いているのはニール・ゲイマン。本書は、著者たちがアイルランドのSFイベントOctconの今年のゲストであるのをきっかけに知った。

2023/12/3(日)

 カナダの作家セシル・クリストファリの”The Fishery”は、持続的でない宇宙漁業の話だ。登場するのは監視官やジャーナリストや労働者。人々が摂取を必要とする「感情」は、今や宇宙の辺鄙な場所から調達されるようになっていた。需給のバランスは悪く、乱獲や密漁も問題になっている。本作は希望や恐怖といった感情をあたかも希少食材や調味料のように描いている。このたとえは、ややわかりやすく直接的だが、黄昏の時代を絶望に陥ることなく書いた良作である。
 ”Hope was a rare delicacy, incredibly tricky to grow and difficult to maintain, and locally-sourced varieties were almost impossible to find these days.”(「希望はいまや珍味で、信じがたいほど育てにくく、手入れも難しく、近ごろでは地物を見つけるのはほとんど不可能であった。」1文を拙訳)


 掲載誌IZ Digitalは、英国のSF誌『インターゾーン』から派生したウェブジンである。『インターゾーン』は近年、編集長&出版社交代、紙版の休刊を憂き目を見た。たしかに実質別物ではあるが、1982年創刊・英国でもっとも長く続くSF雑誌を継承したという体裁である。京都SFフェスティバルのある企画では「今はなきインターゾーン」と言われていたが、一応続いている。

 本作はブラジルのSF作家レナン・ベルナルド氏がX(Twitter)で紹介していて知った。

 ひさびさのブログ執筆には時間がかかった。はたして続けられるだろうか。

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本の感想

春暮康一『法治の獣』

 ファーストコンタクトSFとは、異星の生命体と人類の接触を描いたSFを指す言葉である。The Encyclopedia of Science Fictionによればマレイ・ラインスターの「最初の接触」(“First Contact”, 1945)が「おそらく最も有名な作品」だそうで、これがサブジャンル名として採用されているらしい。
 ところでスペースコロニーのcolonyは植民地という意味だ。しかし開拓・入植とは、既存の自然や文化に対して侵襲的で破壊的な行為である。今回紹介する本は、その観点を踏まえた――もはや未開の地に無邪気に足を踏み入れられない時代の――ファーストコンタクトSFである。そして、そう簡単に異星の生命と交流なんかできないというシビアさと、しかしなお希望を捨てさせない優しさを兼ね備えている。

※出版社からのいただきものです。ありがとうございます。
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015112/

春暮康一『法治の獣』(ハヤカワ文庫JA)

法治の獣 書影

  2019年ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞者の2冊目の著書。『SFが読みたい! 2021年版』(早川書房)で「自信作」「ハードSF好きの皆さんを満足させられるような未来もの」と述べていた(P.127)作品群が、満を持しての登場である。その自負にふさわしい力作だ。デビュー作品集『オーラリメイカー』と比べて物語が複雑かつダイナミックに動くため、没入しやすくなっているのも嬉しいところ。
 さて、本書はファーストコンタクトSF中編集である。『SFマガジン』で発表され、2022年(第53回)星雲賞の参考候補作にも選ばれた「主観者」と書き下ろし2作「法治の獣」「方舟は荒野をわたる」の3作が収録されている。いずれも異星の生命体の生態ルールが調査されていき、人間がその意識/知性の形を探り、解釈する話だ。謎解き仕立てとも言える構成である。各話は独立しているが背後には共通設定があり、《系外進出》インフレーションシリーズと名づけられている。無代謝休眠技術が発展し、地球から遠い星への有人探査が可能になった未来のお話だ。

 「主観者」の主役は、惑星ヴェルヌに棲息する、全身が発光するクラゲやイソギンチャクのような生物「ルミナス」だ。短くて太い円筒状の身体に、先端に眼がついた七本の前腕と、泳ぐための七本の後腕、捕食活動に使うひときわ長い一本の触尾を備えている。本作はこのルミナスと生命探査にやってきた人間チームの、接触の顛末の物語だ。世界観と異星生命の生態の紹介に徹した作品である。
 冒頭部を読んで「ちょっと入りこみづらい」と感じた読者は、本作を飛ばして先に表題作に進むと良い。宇宙SFを読みなれていない人は情報をどれくらい記憶したり理解したりすべきか迷うかもしれない。また、「主観者」を『SFマガジン』で読んで「地味だな」「陰鬱だな」と感じた人も、どうかめげずに手を伸ばしてもらいたい。書き下ろし分は、よりドラマティックだったり、雰囲気が異なったりするので。

 表題作「法治の獣」は、惑星〈裁剣〉に棲息する四つ足の一角獣シエジーの物語だ。シエジーの知能はウシ科の草食動物と変わらないレベルで、高度な思考や対話はできない。つまり舞台は異星の知性と接触する目的は果たせなかった、ハズレの星である。にも関わらず、シエジーは人間からやや注目されている。シエジーたちが群れ全体の快度を上げる有益な行動を学習する生物だからだ。スペースコロニー〈ソードⅡ〉は、人間が最大規模のシエジーの群れの法体系ルールを“翻訳”した法律に基づいて暮らしている実験都市である。シエジーの法は生存に有利なように磨かれ続けているので、それを採用すれば人間の私利私欲とは無縁の(より優れた)共同体を運営できるはずという目算あっての計画である。
 本作は、月から来た若き生物学研究者アリス・クシガタが、一部の住人がシエジーに抱く幻想に辟易しながらも研究を進めるストーリーを中心に進展していく。収録作中、最も劇的だと言えるだろう。アリスの人間関係、人間の共同体の事情、一角獣シエジーの生態といった複数の筋が並行するテクニカルな展開で、クライマックスで大事件が起こり、謎が解かれていく。スリラー小説のファンにも強くおすすめしたい出来だ。
 また、三作中で最も命名に優れた作品ではないかとも思う。獬豸(シエジー)という題材や、その二つ名「生まれながらの功利主義者」は非常にインパクトがある。
 私はP.216-220の、平易な言葉による丁寧な説明にも好感を抱いた。この部分があるからこそ、おとなしく物語の勢いに身を任せたと言ってもいい――本作の異星生物は地球の哺乳類とかなり似ているので、他の2作と違ってリアリティが気になりやすいのだ。はたして「不快衰弱」という架空の特性の有無だけで地球の自然淘汰より功利的な生態になるのか、私は判断できなかった。
 終盤でちらりと姿をのぞかせる社会思想別の人類共同体(複数)は、サイバーパンクやニュー・スペースオペラが好きな人ならニヤニヤしてしまいそうなネーミングと設定を持つ。具体的に言えば、ブルース・スターリングやアレステア・レナルズのファンがにやけそう。ハードSF志向の著者からすれば狙いから逸れた流れ弾かもしれないが、このへんがツボの読者も少なくないのではないか。というか周りに複数いた。
 ちなみに加藤直之・画の表紙は、本作のスペースコロニー〈ソードⅡ〉である。

 ラストの「方舟は荒野をわたる」の舞台は、近くの巨大惑星2つに引っ張り回され、自転周期や軸傾斜がめちゃくちゃにされている惑星オローリンだ。以下、やや内容に触れるので前情報を知りたくない人は、以下を読むのを止めてほしい。
 きわめて過酷な環境の星オローリンで発見された〈方舟〉は、ゼラチン質の膜を持つ水袋が転がりながら地表を移動し、内部に数十万種の生物を抱える生態系だった。そんな規格外のシロモノの知性のありかたとは。そしてオローリンの知性体から人類が知らされた、驚くべき情報とは。
 三度目の正直。ついに異星の知性との対話が叶う回である。表題作と同じく、複数の筋から構成された滋味豊かな作品だ。〈方舟〉の驚異の生態、人間側のしがらみ、ちょっとしたサプライズ1、ちょっとしたサプライズ2とスケールアップ。「主観者」事件の反省を活かし、人類が異星生命に慎重に接触せざるを得なくなっているのも面白い。希望と可能性の残る結末も愛されるはずで、本作が最も好きだという読者も少なくないのではないか。私もそのひとりである。グレッグ・イーガンの「クリスタルの夜」や「ワンの絨毯」が好きだった人にも、劉慈欣『三体』が好きだった人にもオススメできそうだ。それくらい色々てんこ盛りの作品なのである。

 著者の春暮庚一氏は「書くのも読むのも短篇が好き」だと書いていて(『SFが読みたい! 2021年版』P.73参照)その気持ちは大変よくわかる。テッド・チャンのような作家人生もあって良いはずだ。しかし一方で、著者が長篇の舵を取りきるところが見てみたいとも感じた。壮大なSFをうまく着陸させるのは大変だが、操舵術は作を追うごとに向上しているわけだし、中篇で着陸できるなら長篇でもいけるのでは……? つい欲望のままに期待をかけてしまうが、それだけ更なる飛躍を願いたくなる短篇集だったということだ。

 余談:ささいなことだが、一人称「わたし」の語り口調が淡泊なわりに、他の登場人物のセリフは役割語が強く、芝居がかっているように感じた。翻訳ドラマ調というか。

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本の感想

スザンナ・クラーク『ピラネージ』

スザンナ・クラーク『ピラネージ』(原島文世訳、東京創元社)

 http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488011116

 ※出版社からのいただきものです。

 スザンナ・クラークは寡作で知られる英国の幻想小説家で、『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』(中村浩美翻訳、ヴィレッジブックス, 2008, 原著2004)と本書しか長編小説の著作がない。しかし長編2冊はいずれもファンタジーやノンジャンル文学の賞に多数ノミネートしたり、受賞したりと高い評価を得ている。『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』はファンタジーのオールタイム・ベストリストの常連であり、全世界で400万部を突破した大ベストセラーだ。
 長編2冊の共通点をむりやり抽出する――現実とは似て非なる超常要素のある世界を、リアルに丹念に描きだし、研究や自分の目的にひたすら邁進する男たちを物語る。
 ピラネージといえば、18世紀に活躍した建築家で、緻密な版画作品で知られる。彼の連作には空想の牢獄を描いたものがある。ただし本書は、ピラネージを題材にした小説ではない。主人公の男は自分が誰かもわからないまま、上は雲を突き天空に達し、下は海と繋がる、無数の広間で構成されたありえないほど巨大な館の中で生き延びている。海で獲った食べ物を食べ、干した海藻を寒い時期の燃料にし、貝殻などを髪にあしらい、鳥を観察し、日記をつける主人公の生活はサバイバルとしか言いようがない。広間には巨大な彫像が点在している(なぜかゴリラの像もある) そんな場所で、主人公は彼が「もうひとり」と呼ぶ、生きて会話可能な唯一の男と共に広間群の研究を進め、やがて自分が誰であるかを知っていく。そんな主人公が「もうひとり」に呼ばれる愛称こそがピラネージなのだ。
 本書の特色は、まず異常に巨大な広間群を、そこでのびのびと暮らす無垢な男の目から緻密に観察するという「形式」だ。
 迷宮や異境をわけもわからぬままにさまようのは小説やゲームでは定番のネタだ。ヤン・ヴァイス『迷宮1000』、ヴィクトル・ペレーヴィン『恐怖の兜』、ホセ・カルロス・ソモザ『イデアの洞窟』、ストルガツキー兄弟『ストーカー』、それにジェフ・ヴァンダミアの『全滅領域』から始まる〈サザーン・リーチ〉三部作もこのバリエーションだろう。しかし、観察者である主人公がなんら恐怖やパニックを感じることなく、広間群で質素ながら満ち足りて自活しているのは少し新しい。ファンタジー版『ロビンソン・クルーソー』の趣もある。
 次に、本書は入り混じった虚実で演出する「それらしさ」で読者を幻惑する。たとえば作中で実在のピラネージについての説明はほぼなされない。これに限らず、本の中では説明されず、検索しないとわからない言葉はちらほら出現する。コリン・ウィルソンの名前が突然現れもする。一方で、実在していそうで実在していない人名も出てくる。淡々と、モキュメンタリ―(ドキュメンタリーを模した様式)を思わせる筆致で書かれた探索行に、私はBackroomsSCPの人気に通じるものも感じた。新しい情報や人物も次々に飛び出してくるので、飽きずにさっと読み終えられるだろう。フレーバーテキスト(雰囲気を演出するための文章)にすぎない部分もあるので、すべての名詞や情報を覚えようとやっきになる必要はない。
 悪くない読書だった。自分ひとりのために熱心に記録をつけ続ける主人公の性格や、最後のほうで描かれる異界に魅せられた人たちの様子は、なぜ閉じた世界を描くファンタジーが魅力的かを再確認させてくれる。自分だけの庭、あるいは人気(ひとけ)のない廃園、現実ではない居場所に魅力があるのは当然ではないか? 野鳥とゴリラの彫像にひたむきな愛着をもってなにが悪いのか? なお、巻頭ではC・S・ルイス『魔術師のおい』(〈ナルニア国物語〉)が引用されている。
 登場人物がやや類型的(純真で搾取される主人公、マッド研究者でいわゆるQueer Codingっぽい悪役たち)という指摘を英語圏の書評で見かけるが、そこは否めない。


 近ごろは諸事情により鬱屈しており、ちゃんとした文章が書けず、書けないことに忸怩たる思いを抱えて日々を過ごしています。書くこと、読むことのリハビリが必要です。そんなわけでここでは気楽に、簡単な感想のみを書くことにします。ウォーミングアップ。